新宿にある行きつけの居酒屋で、入荷したばかりだという八海山の赤越後も三合目にさしかかった頃、雨鏡の目の前に、プラスチックの脳みそが現れた。
テーブルの向こうからのびる両手が、脳を分解していく。

「亮太、ファッションブランドの『ティーエストーキョー』ってあるだろ。あれ、なんで海外で成功したか知ってるか」

脳を分解しながら、両手の主――小林が雨鏡に訊いた。

「お前が脳の模型を弄ってるから、脳が関係してることは分かる。脳の話がしたいんだろ」

小林は、にやりと笑うことを返事とした。雨鏡は、小林の手遊びを見つめながら赤越後を舐める。小林と飲むと、必ず脳の話を聞かされる。

「初代の社長、脳腫瘍だったらしい」

「佐藤ナントカって人?」

「佐藤孝秀な。一九八三年に手術を受けたんだってよ。ちょうど脳腫瘍の新しい手術法が開発された頃だったから、それに乗っかった形だな」

小林はまず、ファッションに疎い雨鏡のために、ティーエストーキョーについて説明した。

創業時のティーエストーキョーは、「佐藤洋服店」という紳士服専門の小売店だった。夫婦で経営していて固定客もついていたが、一九七三年に起こった第一次オイルショックの煽りを受け、佐藤洋服店は経営難に陥った。立て直しを図るもうまくいかず、十年近くも、倒産の危機に追い込まれながら細々と経営を続けていた。

それが一九八三年を境に、突如、若い男女向けのカジュアルブランドへと方向転換し、商品も佐藤自身がデザイン・販売まで行うようになり、屋号をティーエストーキョーに改めた。言うまでもなく、ティーエスとは、TS=Takahide Satoのことだ。この方向転換がDCブランドブームに乗ったのか、すぐに売り上げは上昇し、店舗は日本全国に広まった。五年後には海外へ進出。国内外の企業から芸術分野まで幅広くコラボレーションしたりと、常に話題を提供し、今では日本を代表するファッションブランドとして世界で名が知られている。

「佐藤は亡くなったけど、生きてた頃は長者番付の常連だったんだよな。服で金持ちになれるのかと驚いたもんだよ」小林は感心したように言う。

「で、重要なのは、ここからなんだ」

小林は、赤越後を猪口にたっぷり注ぐと一気に飲み干した。勿体ない、と雨鏡は心の中で惜しむが、小林が脳の話で興奮している時の飲み方だと心得ているので、とやかく言うことはしない。

「佐藤の成功には、脳の手術が絡んでるんじゃないかと俺は見てる。つまり手術そのものが、脳に何らかの影響を与えたんだよ」

だんだん前のめりになってくる小林に、雨鏡は思わず吹き出した。雨鏡は、四十間近となってもなお少年のように目を輝かせて語る小林が面白く、心底好きだった。

「病気が治って、やる気になったからじゃないの。脳腫瘍みたいな大病を乗り越えたら、誰でも死生観が変わると思うよ。『生きている奇跡に感謝して、精一杯生きよう』っていう感じで、世界が輝いて見えたとか」

「いやいや、俺は違うと思うね。海外には、脳腫瘍の手術をして芸術の才能に目覚めた男だっているんだ。棒人間しか描けなかったのが、手術を境にダ・ヴィンチだ」

へぇ、と雨鏡は舌を巻いた。その反応を見て上機嫌になったのか、小林が店員を呼び、赤越後を追加で注文した。店員が皿を片付けている間も、小林は模型を分解しては組み立てている。この店では馴染みの光景だから、店員もさほど気にしていない様子だ。

雨鏡と小林は、高校時代からの付き合いだ。

雨鏡は、幼少期より重度の人見知りで、人前に出るだけで血の気が引いて顔面が痺れ、喉がひくひくと痙攣して声を出せないほどだった(三十を過ぎて、ようやく人並みに対人関係を築けるようになった)。若い頃は、そのせいで周囲から蔑まれているに違いないと思い込み、針のむしろに座っている気分だった。親しい友人を作らず、小中高校と休み時間はいつも教室の自席で俯いて本を読んでいた。雨鏡が好んだのはノンフィクション小説だった。後世まで語り継がれ英雄と称される者たちの伝記を読み、彼らと自分とを重ね合わせ、英雄本人になりきる空想をしていた。そういう時、雨鏡は自分自身の堅牢で呪われた殻をいとも簡単に破り、その破片を振り落として天上へ突き抜けていくような高揚感を覚えるのだった。

その彼に最初に声をかけたのが、二年の時にクラスメートとなった小林だった。その時、雨鏡はトマス・キニーリーの「シンドラーズ・リスト」を読んでいた。

「それ映画で観た。ビデオ、レンタルして」

これが、小林の第一声だった。雨鏡は思わず立ち上がり、第二次世界大戦中、ナチスの党員でありながら一二〇〇人ものユダヤ人をナチスの虐殺から救ったオスカー・シンドラーの偉業について一気に喋った。少し捻くれていた雨鏡は、この時うっかりと「ヒトラーは『正義』を振りかざして良い気になっていた、ただの落ちこぼれだ。分別のあるシンドラーに敵うわけがない」などと言ってしまい、唖然とする小林に気づいた瞬間、声が出なくなった。今初めて会話したのだから当たり障りないことを言っておけばいいのに、失敗した。過激派だと思われたかもしれない。まったく、他人との距離のとり方がわからない。だから一人でいるのではなかったか。雨鏡は後悔の念に駆られたが、小林は「なんだ、お前、しゃべれるんじゃん。もっと聞かせろよ」と笑った。話していくうちに、小林もシンドラーを尊敬していることがわかった。同士がいることに勢いづいた雨鏡は、自身の考える英雄について生き生きと語った。小林も同じ気持ちだったらしく、その日から休み時間に「互いの英雄」について議論することが日課となった。彼ら自身が感銘を受けた人物は、時代も人種も職業も問わず語らった。他人と会話する時のむずむずとした気分は相変わらずあったが、自身の中に眠っていた思想や信仰が苦もなく次々と引き出されることに、雨鏡自身、驚いた。その時は、小林が脳の話をしたことは一度もなかった。

やがて、忙しい大学生活に追われるようになった二人は次第に疎遠になり、社会人になると連絡を取り合わなくなった。雨鏡は唯一の友人を手放すのは惜しいと思いつつ、引っ込み思案が邪魔をして自分から接触できずにいた。それから十年余りが過ぎ、突然、何の前触れもなく小林から飲みの誘いがあった(携帯電話の番号は大学時代から変えていなかった)。小林の声を聞いた瞬間、青く瑞々しい高校時代が雨鏡の脳裏に蘇り、すぐに承諾の返事をした。その時に小林が指定したのが、この店だった。当時はカウンター席を利用していたが、小林が脳の模型を分解し、テーブルに所狭しと置いていくので、何かと注目の的だった。雨鏡は、小林が脳おたくになっていたことに驚いたが、それよりも彼が人目を憚らず脳で遊ぶことが恥ずかしかった。店を変えることも考えたが、立地の面で通いやすいのと料理が美味いので、離れ難かった。何より、小林がこの店をいたく気に入っているらしいので、自分の感情ひとつで無下にするのも悪い気がした。その解決策として、飲む時は必ず個室で予約をとるようになった。個室は別途使用料が追加されるが、周囲の目は気にならなくなったし、小林も広いテーブルの上で自慢の脳で遊べることを喜んでいるようだった。初めは冷めた目で見ていた店員も、そのうち彼らを面白い客として受け入れたのか、愛想良く対応してくれるようになった。

店員が空いた皿を持って個室を出ると、入れ替わりに別の店員が赤越後の一升瓶を持って入ってきた。片口に酒が注がれる。酒の表面が、片口の乾いた壁とこすれながら静かに上昇していく。そのちりちりとした動きに合わせて、雨鏡の呼吸も静かになっていく。小林も脳を弄る手を止め、雨鏡と同じく酒が注がれていくのを見つめている。

店員が個室を出ると、雨鏡は小林の猪口に酒を注いでやった。

「ところで、なんで佐藤孝秀が脳腫瘍だったなんて知ってんの」

——②へ続く。

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